昴ママの気まぐれ日記




妹と京都へ♪ :: 2011/01/17(Mon)

モノレールに乗って門真で京阪電車に乗り換え、神宮丸太町で下車。

東に岡崎神社に向かって歩く。





熊野神社
弘仁2年(811)修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が、国家護持のために

紀州熊野大神を勧請したのに始まる。

寛治四年(1090)白河上皇の勅願により創立された聖護院は、当社を守護神として祟めら

れ別当職を置いて管理した。平安末期後白河法皇は度々熊野詣を行われたが、当社にも厚

く尊信をよせられた。応仁の乱により社殿は焼失したが、寛文六年(1666)聖護院宮道寛

法親王は、令旨を下し再興され、その境域は鴨川に至る広大なものであった。その後、天保

六年(1835)にも大修造が行われた。現在の本殿は、この時、賀茂御祖神社(下鴨神社)か

ら移築された代表的な流れ造りである。
 
御祭神は、我国最初の夫婦神である伊弉諾尊・伊弉冉尊であり、縁結び・安産のご利益がある。

病気平癒のご祈願も多い。



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御辰稲荷神社
「辰」の字が、達成の「達」につながるとされ、芸事の神様として信仰されている。

「京の風流キツネは、碁の好きな宗旦キツネと、琴の上手な御辰キツネ…」と謡われ、芸事を

する人たちが多く参拝したといわれる。




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岡崎神社
桓武天皇、延暦13年(794)の平安京遷都の際、勅願により王城鎮護のため平安京の四方に建立さ

れた社の一つで、都の東に鎮座することから東天王と称し方除け・厄除けの神として信仰されて

いる。清和天皇、貞観11年(869)に改めて社殿を造営し、播州広峰(兵庫県姫路市北方)から御祭

神を迎えた。後に後醍醐天皇が御再建。以来室町時代には将軍足利義政等により修造があり、幕

府との関係も深い。治承2年(1178)には中宮の安産祈願の幣帛を賜ったことにより、子授け・安産

の神として昔より信仰されている。



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都の卯(東)の方位にある付近一帯が野兎の生息地で、うさぎが氏神様の神使いとされる。境内の

御手水の所には月の力を満たしたうさぎ像があり、水をかけてお腹を擦ると祈願が叶うと信仰を

集めている。そして本殿前には狛うさぎがあり、うさぎが多産であることから子授け安産祈願。



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浄土宗大本山くろ谷 金戒光明寺
浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院

のはじまり。西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を眺み山門、阿弥陀堂、本

堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった

本尊/阿弥陀如来


御影堂(大殿)
内陣正面には宗祖法然上人75歳の御影(座像)を奉安している

火災による焼失後、昭和19年に再建となったもので、堂内の光線と音響に細部の注意がこらされて

昭和時代の模範建築物といわれている。



山門
万延元年(1680年)の完成。



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三重の塔
くろ谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重の塔

に安置されている。この本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作。

三重の塔下の墓地に『江』の遺髪の入った供養塔があった。




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鈴聲山真正極楽寺 真如堂
比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺。

真正極楽寺とは、「極楽寺という寺は多いけれど、こここそが正真正銘の極楽の寺である」と

いう意味。一般には「真如堂」と呼ばれているが、それはもともとは本堂の呼び名。
 
今から、約1千年前の永観2年(984)、比叡山の戒算上人が、比叡山常行堂のご本尊阿弥陀如来

(慈覚大師作)を東三條女院(藤原詮子。円融天皇の女御・一條天皇の御母)の離宮があった現

在の地に移して安置したのが、真如堂の始まり。

本堂は、元禄6年(1693)から享保2年(1717)にかけて建立。十五間四面・総欅・単層入母屋・本

瓦葺で、木材にはことごとく「○○家先祖代々菩提の為」と記されている。

本堂正面の宮殿(徳川五代将軍綱吉公と桂昌院の寄進)の中には、ご本尊阿弥陀如来・不動明王

(安倍晴明の念持仏)・千手観音がまつられている。




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真如堂から再び金戒光明寺を通り、てくてく歩く。



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平安神宮
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神

として創建された。当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがあった。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、

明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与た。

千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を

後世に伝えるために、平安の祈りをこめて創建された。

その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天

皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることに

なった。



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右近の橘
橘の実がなっていた。

春に来た時は、紅しだれ桜が綺麗だったわ。




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知恩院の近くでおばんざいのランチを食べた。

寒かったので、暖かいお味噌汁が嬉しかった。




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高島屋近くを通った時、そういえば以前にPC仲間で来た時、京都出身の方が美味しい漬物の

おみせがあると言っていたことを思い出し、少し脇道に入る。

京つけもの老舗 『村上重本店』

妹が、『すぐき』の好きなお義姉さんに何種かの漬物を宅配で頼んでいた。

私も『すぐきの切り漬け』を買ってみたよ。




高島屋でブーツを見て、錦市場へ。

小さい足にぴったりのブーツがあったけど、3割引きでも年金生活の身では買えない。

ま、履いて行く所もないからいいか。


錦市場をぶらぶらして、烏丸駅から阪急電車に乗り、南茨木でモノレールに乗り換え

千里中央の妹宅へ帰宅。


いっぱい歩いたねぇー




  1. 京都
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