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陽光のクロアチア・スロベニアを巡る  Ⅸ
2010/06/18(Fri)
5月31日(月) 
 
トリエステ(イタリア)~ローマ

もう、帰る日が来てしまった。






朝食



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トリエステ
アリタリア AZ1358便 11時20分発でローマへ
ローマ着 12時30分




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ローマ AZ792便 14時55分発で関空へ



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ローマ上空



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ローマ上空



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韓国上空



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最後の機内食


6月1日(火) 
定刻より30分早く、9時05分着。11時間30分の空の旅。お疲れ様でした。



バスで移動するときに見た、岩山(カルスト台地)一面に咲き乱れるラベンダー
白やピンクのかわいらしい花々、黄色いこんもりしたか花木

クロアチア・スロヴェニアは治安もいいしね。

心に残るいい旅だった。
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陽光のクロアチア・スロベニアを巡る  Ⅷ
2010/06/18(Fri)
5月30日(日)  雷 

ザダール~ロヴィニ~ポレッチ~トリエステ


観光は今日で最後、移動時間も長時間



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朝食後、アドリア海に突き出たイストラ半島のロヴェニへ 約389km 4時間30分

ツアー人数24人、一度は2人で座らなければいけない。今まで2席を使っていたので
今日は2人で並んで座った。

でもね、左側の景色がよいのでそこを夫婦2人で縦にとっている人や、前の席ばかり
の人もいたけどね。ルール違反だよね。





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ロヴィニに着いてすぐにランチ



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ロヴィニ
600年間ヴェネツィアの支配下だったため、カラフルな街並みがイタリアのようで
開放的なイストラ地方で最も活気あるリゾートの一つ。
海岸沿いの小さな島に築かれ防壁で囲われていたが、17世紀には壁の外まで町が広
がり、本土とつながれた。


ロヴィニの港



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バロック様式のバルビ門(1680年)



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1736年に建てられた聖エウフェミア教会。教会内には、聖エウフェミアの石棺が納められている。

聖エウフェミアは、コンスタンチノープル付近で処刑されたキリスト教徒で、
後に石棺に納められコンスタンチノープルの教会に安置された。(6世紀)
ところが、800年7月13日の朝、石棺を乗せた舟がロヴィニに漂着したのだと
いう。鐘楼(1677年)の上には、彼女の像があり、ロヴィニを見守っている。


 

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城壁



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イストラ半島の石灰岩の石畳、雨に濡れて滑りそうになる。



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バスで1時間ポレチュへ

ポレチュ
紀元前2世紀~1世紀にかけて、古代ローマの都市として建設された。当時の面影を
残した古い石畳の町並みが広がるアドリア海屈指のリゾート地。

市庁舎


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旧市街



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エウフラシウス聖堂
1500年前(6世紀)のモザイクに彩られた聖堂であり、1997年に世界遺産に登
録された。この聖堂には後に訪れたイタリアのラベンナと並んでモザイクなど
貴重な文化遺産が残されたいる。ポレチュがビザンツ帝国の支配から離脱し、
8世紀から始まった聖像破壊運動の影響を聖堂が受けないで済んだことが幸い
して貴重な文化遺産が後世に伝えられた。
黄金のモザイクが描かれている教会の入口

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金箔の美しいモザイク


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聖堂床のモザイク。ラテン語が刻まれている



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聖マリア天主教会



トリエステ(イタリア)へ1時間30分


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1日目に泊まったホテルに宿泊。





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陽光のクロアチア・スロベニアを巡る  Ⅶ
2010/06/17(Thu)
5月29日(土)  のち  

ドゥブロヴニク~モスタル(ボスニアヘルツェゴビナ)~ザダール



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朝食後、約150km 3時間、途中でボスニア・ヘルツェゴビナに入国


ボスニア・ヘルツェゴビナ

北部をボスニア地方、南部をヘルツェゴヴィナ地方と呼び、これを合わせたものが国名となって
いる。カトリック、セルビア正教、そしてイスラム教、この地は東西の文化の接点であった。
文化の衝突は時に戦乱の発火点となり、時の勢力に翻弄され続けてきた地域でもある。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は20万人の死者と200万人以上の難民・避難民を出した。
紛争は1992年から19995年まで続いた。



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モスタル  (ボスニア・ヘルツェゴビナ)  世界遺産

ネトレヴァ川両岸の台地に発展したモスタルはヘルツェゴビナの中心都市。
古くからの交易で栄え、15世紀中ごろにオスマン帝国の支配下に置かれてからは、
軍事の要塞としても発展した。名前の由来はスラヴ語の「モスト(橋)」といわれ
街の中心に架かる頑丈な石橋は街のシンボルとして愛されてきた。
内戦で破壊された橋は往時の姿に修復され、平和の象徴として復活。トルコの面影
が色濃く残るエキゾチックな街並み。

通貨 1.59ダカンマルク=1€  ユーロが使える

コスキ・メフメド・パシャ・モスク
1619年完成のモスクで12m四方の正方形をしている。
中を見て、ミナレット(尖塔)にも上りたかったな。

降っていた雨もあがった (*^^)v



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スタル・モストからの眺め

正面のモスクは、カラジョズ・べグ・モスク



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スタリ・モスト
川幅が最も狭くなる場所に架かっていた木製の釣り橋が石橋になったのは1566年。
高さ約21m、長さ29mを誇り、両岸に住む人々の生活に欠かせない橋として親しまれ
てきた。1993年、ボスニア紛争時の砲撃によって破壊されるが、ユネスコや民間の
補助で往時のまま復元され、2004年に完成。2005年に世界さんとして登録された。

トルコで売っていた物を売る店が軒を連ねている。(オールド・バザール)



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ランチをこのテントの店で後ほどいただいた。



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トルコの家へ


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トルコの家
1635年に建てられたトルコ風の民家。川沿いの崖の上に立ち、建物の一部は高さ14m
の石の柱で支えられている。内部はオスマン帝国時代の生活様式を再現。



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オールド・バザール



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ランチした店からのネトレヴァ川とスタリ・モスト



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ランチ
チェバピチッチ(ソーセージ)



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ボスニア紛争時に破壊されたままの住居。

ボスニア紛争
1992年の独立宣言後、街はユーゴスラビア連合軍の攻撃を受ける。最初は共闘した
ボスニア人とクロアチア人も後に戦闘状態になり、被害は拡大した。


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壁の穴は、すざましい数の銃弾の後。人々が暮らしている高層の建物・戸建の住居
にも修復されずに銃弾の跡が残っている家もあった。



バスでザダール(クロアチア)へ 276km



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ホテルで夕食。
シーフードの前菜・マグロのステーキ



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コロヴァーレ泊











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陽光のクロアチア・スロベニアを巡る  Ⅵ
2010/06/16(Wed)
5月28日(金)   

ドゥブロヴニク~ストン~コルチュラ島~ストン~ドゥブロヴニク

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朝食後ストンへ 45km 約1時間



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ストン
ワイン産地として名高いペリェシャツ半島の付け根にある小さな街。
古くから塩田で栄え、現在も昔ながらの製法で塩が作られたいる。1kmほど離れた
マリ・ストンとは城壁で結ばれている。



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バスで1時間半、対岸の街からフェリーでコルチュラ島へ


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フェリーからコルチュラ島



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バスから旧市街



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コルチュラ
ペリェシャツ半島の先に浮かぶコルチュラ島はワインやオリーブの生産が盛んな島。
その中心は海に突き出た半島にあるコルチュラ。周囲を城壁に囲まれたヴェネツィア
時代の街並みが美しい。南北に目抜く通りが貫き、そこから東西に細い路地が伸びる。
マルコ・ポーロの伝説が残る。



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街のメインゲートは南門



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聖マルコ大聖堂
街の守護聖人、聖マルコにささげられた大聖堂。
15~16世紀に建てられたもので、ゴシックとルネッサンスが入り混じった様式。



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罪を犯した人が繋がれた。



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コルチュラ博物館



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ワインの店



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マルコ・ポーロの家
「東方見聞録」の作者マルコ・ポーロはヴェネツィア出身の商人というのが定説だが、
コルチュラ生まれという説もある。真意のほどは定かでないが、コルチュラ出身のポー
ロ家が分家してヴェネツィアに渡ったという説が有力。



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城壁



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日本の雑誌にも特集されたという「イヴァンさん」の店でシーフードのランチ



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ランチ
大皿の料理を分けていただいた。



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食後、再度ストンに立ち寄る。


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城壁



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ドゥブロヴニク
ほかのホテルのレストランで夕食。

グランド・パーク泊
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陽光のクロアチア・スロベニアを巡る Ⅴ
2010/06/15(Tue)
5月27日(木)

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朝食後、旧市街へ



ドゥブロヴニク 世界遺産

クロアチア南端、アドリア海に面した街。
古くから海洋国家として栄え、長きにわたって独立を貫いてきた希少な街でもある。
城壁に囲まれた世界遺産の旧市街には中世の面影が色濃く残っている。
1991年クロアチア独立とともにクロアチア領となった。この時起こった内戦ではユーゴ
スラビア連邦軍の攻撃を受け、かなりの被害が出たがその後復興し、世界遺産の危機遺
産リストからも1998年に除外された。
旧ユーゴスラビア



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ピレ門
旧市街の西側にあり、数世紀のわたってメインの入り口として使われていた。門が現在
の姿になったのは、1537年。


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オノフリオの大噴水
ナポリのオノフリ・オ・デッラ・カヴァが1438年に造った大きな噴水。1667年の大地震で
装飾の多くは失われたが、16面の顔のレリーフは姿を留めており、現在もその口から水を
吹き出し続けている。



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フランシスコ会修道院
内部にはロマネスクの回廊やクロアチア最古の薬局がある。



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回廊


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クロアチア最古の薬局




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プラツァ通り
その昔、プラツァ通りは海峡になっていて、南側の小島にラテン系、北側の本土にスラヴ系
の住民が住んでいた。12世紀には海峡が埋め立てられた。




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ルジャ広場
プラツァ通りの東側、旧市街の中心にある美しい広場。
ローラント像…ヨーロッパ都市の自由と独立の象徴とされる。肘の長さ51,2cmが、商取引
の際に使う長さの基準とされていた。

向こう側は聖ヴラホ教会
街の守護聖人聖ヴラホを祀る教会。火災で焼けおちたため、1715年にバロック様式
で再建された。




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旧港




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大聖堂
1667年の震災後に再建されたバロック様式の教会。ブラホの遺骨の入った聖遺物のほか
貴重な財宝がある。



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正面はスルジ山
半日の自由時間にロープウェイで山頂に登りたかったが、本には昨秋完成と書いてあった
のだが、あと1ヵ月ほど出来るそうだ。



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マルシェ



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ランチ


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昼食後、希望者12人でで旧港から船で観光

聖ピーターの砦
城壁にはいくつもの砦が設けられていて、それぞれに成人の名前が付いている。

左端はボカール要塞



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旧港の近くの城壁入り口から、城壁一周絶景巡り




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ドミニコ会修道院
1225年にドミニコ会が修道院を開き、建物は14世紀に完成。ロマネスク・ゴシック・
ルネッサンスの様式を取り入れた美しい建物。



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あと、少し写真があります。
続きを読むで見てね













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