トレッキングシューズも買ったことだし、『鎌倉』まで歩こう!と、妹。
「途中でリタイヤしたら、公共交通機関はある?」
「ないよ。」
えぇー、大丈夫かなぁー
妹のご主人も付き合ってくれて、荷物も全部持ってもらって、さぁー出発
マンションから30分程歩き、ハイキングコースに入る。
途中の難関はこの岩。登り切るとゴルフ場のコースの横。
昨日の雨で道はぬかるんでいる場所が多々ある。
鎌倉宮まで2時間半。
鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を祭神として、明治2年(1869年)に 建武の
中興に尽くしたものの若くして命を奪われた護良親王の遺志を後世に伝えることを望まれた
明治天皇が創建た。また鎌倉宮は、別名大塔宮。
鶴岡八幡宮
源頼義・義家親子が鎌倉に居住し、康平六年(1063)、由比郷の地に石清水八幡宮を勧請
したのが創祀。
治承四年(1180)、源頼朝が挙兵し鎌倉入りした時に、小林郷北山の現在地に遷座したの
で、由比の社を元八幡と呼ぶ。
建久二年(1191)、本宮(上宮)・若宮(下宮)を構築し、本宮に改めて石清水八幡宮よ
り神霊を迎えたという。
翌年、建久三年には頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉時代が始まる。
鎌倉幕府にとって鶴岡八幡宮は、源氏の氏神を祀る重要な神社であると同時に、若宮大路の左
右に、幕府の衛府を配置し、将軍拝賀の式を行うなど、京都における宮廷のような存在であっ
たという。
修学旅行の生徒たちがたくさん来ていた。
ここで、おにぎりの昼食。
建長寺
鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派の大本山。 建長5年(1253)北条時頼が蘭渓道隆
(らんけいどうりゅう)を開山として創建した、わが国最初の禅の専門道場。 最盛期
には塔頭が49院あったが火災により焼失。現存する建物は江戸時代以降に再建または
移建されたものである。
総門、三門、仏殿と一直線に並ぶ伽藍の周囲を10の塔頭寺院が取り囲む。
三門 (上)重要文化財
総門をくぐると正面に高さ約30メートルの三門がそびえ立つ。 安永4年
(1775)に再建した重層門で、楼上には五百羅漢像が祀られている。平成8年
(1996)4月、改修工事が完了した。
梵鐘 (中の写真の右に写っている)国宝
重さ2.7トン。建長7年(1255)に、大和権守 物部重光が鋳造したもので、大覚
禅師による建長禅師の銘文が浮き彫りにされている名鐘。
仏殿 (下)重要文化財
本尊地蔵菩薩を安置し、法要を行うお堂。正保4年(1647)東京・芝・増上寺より
徳川2代将軍秀忠の夫人で小督(おごう)の方の霊屋を移築したもの。
法堂 (上)重要文化財
仏殿の後ろにあり、大法を説く堂、古代寺院では講堂に当たる。
現在は千手観音像を安置。
当初の法堂は建治元年(1275)の創建であるが、現存の法堂は文化十一年(1814)
の上棟である。平成14年、創建750年記念事業の一環として解体修理完成。
唐門 重要文化財
唐門は屋根が唐破風になっている門のことで中国式という意味ではない。
仏殿と同じく芝増上寺の霊屋の門を移築したとされる。
建長寺の紫陽花
明月院
八代執権北条時宗が、父時頼の建てた最明寺(さいみょうじ)跡に蘭渓道隆(らんけい
どうりゅう)を迎えて建立した禅興寺(ぜんこうじ)というお寺の塔頭(たっちゅう)
寺院だった。のちの室町時代初期に関東管領上杉憲方(のりかた)が塔頭寺院として再興。
その後親筋に当たる禅興寺の方は衰退して明治期に廃絶し、明月院のみが残った。
明月院の紫陽花は、派手さがない。
円覚寺
弘安5年(1282)、執権北条時宗が宋から招いた無学祖元(むがくそげん)を開山として
創建された臨済宗の寺。 鎌倉五山第二位。度重なる火災により衰退したが、小田原城主や
江戸幕府により復興。
現在の建物は関東大震災以後に修復された。 約6万坪の広い境内をほぽ一直線に伽藍が並び、
15の塔頭寺院が建つ。
三門 (上)
いっぱい、歩いたよ。歩けたよ。
JR北鎌倉駅がら電車に乗って妹宅へ。